4月 20, 2022

江戸隠密 武蔵一族 代表部

武蔵柴田家 代表 柴田朱雀

ご挨拶

  武蔵一族代表部は、平成18年(2006年)武蔵柴田一族の17代の50回忌の後、一族の忍び侍(忍士)の伝統・文化を公開し国際親善に役立てる事を目的に開設されました。

  それ以来、忍び侍の資料の研究、武芸・伎芸の伝承、ボランティア活動および国際交流活動協を積極的に行っております。特に、伝統的な鍛冶製法による忍具の製造や諜報活動の歴史、その中で培われていった独自の思想哲学である『忍士道』は日本人の心の根底に流れる「和」を尊ぶ心と忍びの「正心」を根本理念としています。

  江戸入府後における私どもの一族初代の先祖は柴田弥五右衛門で、幕末期の武蔵柴田家の先祖は幕末期の外国奉行である柴田貞太郎です。
 
  家系調査の開始時に、幕末の歴史を研究家庄田純一郎氏に協力をお願いし、柴田貞太郎が書いた日載を解読していただきました。また、庄田氏を通じて、柴田貞太郎の弟、永持亨次郎の子孫の永持昭九氏と連絡がとれました。 この永持家に柴田家の詳細にわたる系図や文書が残っており、私どもの調査は非常な進展を遂げました。
 
  永持家の先祖は1582年に徳川家康が伊賀越えをしたときに服部半蔵とともに家康を伊勢まで警護した永持重太夫で、のちに江戸に招かれた200名の伊賀者の一人です。(私どもの先祖である柴田周防もこれに参加しております。)  

  永持家は江戸城の広敷番(大奥警護)という役職につきながら、積極的に、他の伊賀者の家系と姻戚関係を結び、有力な一族となっていきました。中でも、柴田家とは非常に密接な関係となり、永持家の家系図に柴田家のものが書かれるほどになっていきました。初代の柴田が永持家の女性を妻として以来、両家は一族のように展開するようになり、この関係は明治まで続きました。永持氏のご厚意で、現在、柴田の家系図やその他の文書は東大の史料編纂所に保管されております。

  現在、東京の芝公園にある本陣道場での本格的な通訳付きの忍者・侍の体験やセミナーは、『日本人の心のあり方』を世界の人々へ伝えていくことも目標として活動しています。 M.I.C.Eなどへの 忍者・侍・鎧武者の派遣やショーの分野においても、数多くのお客様に支持されております。

  私どもが、ここまで成長することが出来ましたのは、永持氏、庄田氏をはじめ、開設以来色々なかたちで暖かいご支援をして下さった多くの方々のご厚情の賜物であると、心より御礼申上げます。

  私どもが出来ますことは、誠に限られておりますが、少しでも多くの方々に、日本の誇れる忍士文化と伝統を紹介し、国際親善に務めていくことを使命ととらえて、努力して参ります。    

一族代表 柴田朱雀

                                            

Article written by Suzak Shibata
Born in Yokohama, Japan as a daughter of Jin'ichi Tetsubunsai (the 18th generation head of the clan) and Kimi (Someya) Shibata. The 17th generation head, Sen'ichi Tatsunojoh, became Christian and ordered the clan to be closed for 50 years after his death. Tetsubunsai operated his workshop as a blacksmith and continued his shinobi samurai training. He stepped down from his post to be succeeded by Suzak in 2006. Suzak and Tetsubunsai appointed Kazuchika Yoneda to assist Suzak as Tohmoku of the clan. Besides being a representative of the clan, Suzak has managed Honjin Dojo Suzaku has been the head interpreter-trainer in the clan. Authored several books for those who study interpreting.
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