4月 20, 2022

武蔵一族における新たなパラダイム忍士道

伝統的な忍びの技術と思想を現代で有効活用するために教育システム及び指導理念として当該パラダイムの全体像を開示し、忍びの文化を日本国内外に普及させる活動の一環として、忍士道を提唱します。

忍士道は「習得」「活用」「探究」からアプローチする手法をとっています。この三つは文部科学省が「ゆとりの中で生きる力」の育成を重視した学習指導要領として2008年に強調した新学習指導要領でもあります。

習得は技術や知識を学習する事で、習得した事を実生活で思考、判断して使用する事が活用となります。さらなる学習の意欲をから探究へつながります。

習得で重要になるのが忍術の原理を知る事です。中嶋氏著書の「忍者の兵法」では忍術の原理を「機をみて虚をつく」と記しています。我々も同様に考えており、武蔵流忍術では「状況を掌握し状況の操作する」が忍術の原理としています。また、忍びの存在は支援をする者です。他の存在があるから忍びが存在できます。万川集海にも記載がありますが私利私欲で行動してはいけません。よって、物の見方が主観ではなく客観となる必要があります。客観視するためには価値観が邪魔になってきます。自分は価値観に左右されない状態を作り出します。これを無我と言います。逆の考え方をすると、価値観によって人は左右されます。忍術では相手の価値観を知り、価値観を合わせることが喜びを与え、価値観を外すことが怒りをもたせるといった心理操作を行います。客観視により応じる力を身につける事が習得となります。

活用は習得した事を使う事になります。活用は状況操作の仕方でバランスの制御になります。ここで物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解される考え方として儒教の「中庸」があります。バランスを保つ事が平和や調和であり、バランスを崩す事が謀略などになります。活用はバランスを保った状態へする事です。

中庸、客観視、価値観を挟まないなど習得が難しいものです。これらを習得するために探究が始まります。探究で得たものは活用の制度があがって行きます。さらに中庸は和、客観視は無我といったキーワードを生み出していき思想や道徳へつながります。

このような教育システムの形成に至った理由は以下の内容となってくる。

忍びを考えるうえで、武士との関りと対比が必要になってきます。そこで、武士の精神として「武士道」があり、武士道の成立について資料を

武士道の成り立ちは武士が誕生した平安時代から、鎌倉、室町、戦国時代は「武士の道」を「兵(つはもの)の道」、「武者の習い」、「弓馬の道」といった表現でした。言い伝えや家訓として戦闘技法や武家の生き残り策などの知恵や処世術に相当するものです。伝統を重んじる狭義の徳を、戦闘者として守るべきものと説く乱世の思想が古代武士道になります。

戦国時代になると、武士は戦闘員であるだけでなく、領国や領地を治める為政者としての性格も持つようになり、更に江戸時代になると、戦の無い泰平の世となり、戦闘者としての存在意義も問われるようになります。そこで、武士から戦闘性を排除して新しい支配階級の倫理を作る動きが始まり、先導したのが山鹿素行(やまが そこう)です。山鹿は儒教の道徳思想から武士の理想化を図り、治世の思想として士道となります。

明治になると、日本人の精神的文化的拠り所を武士の生活態度や士道的信条に求める「明治武士道」というものが生まれます。それを先導したのが新渡戸稲造です。日本人の倫理観の高さ、一人ひとりが社会全体に責任を負うモデルを、『Bushido:The Soul of Japan』(1900)として世界に向けて発信しました。最近では国際化の進展に合わせて、「武士道」や「おもてなし」などの日本の精神文化に対する関心が高まっています。

以上が武士道の大まか成り立ちですが、忍びの成り立ちも室町、戦国時代から処世術や生存術から発展し、江戸時代の泰平の世で技術を整理しまとめ、思想が加えられ体系化されます。武士道や士道の書と同じ頃に三大忍術書の万川集海、正忍記、忍秘伝が書かれています。また、忍びの雇用形態は戦国時代の傭兵的な外部発注形式から、江戸時代は組織としての諜報機関が設けられ内部雇用に代わって行きます。内部雇用となると、武士と同じ教育を受ける事になります。江戸幕府公認の学問は朱子学です。公儀の目付や与力、同心など隠密活動に従事した多くが学問吟味の経験者である。学問吟味は江戸幕府が旗本・御家人層を対象に実施した試験制度である。漢学の筆答試験で1792(寛政4)年から1868(慶応4)年までの間に19回実施された。目的は学問の奨励と幕臣の人材育成である。内容は四書五経で幕府公認の学問である朱子学の知識や人柄が吟味された。第8回1823(文政6)年を境に海事、外国関係の役職に多くの下級武士合格者が抜擢された。

柴田の先祖には救世軍の牧師がおり、海外普及をしています。また、金鉱脈の探査依頼を受け、伝わっていた山中移動や火薬術を活用しています。忍びの研究、忍術流派を習うといった事も行っていました。

忍、志、忠の説明追加

武蔵一族は2007年より外人向けの忍者体験を思考錯誤しながらおこなってきました。身体のトレーニング的なものから武術教室的なもの、手裏剣の的当てゲーム的なものなども行ってきました。その中で体験と合わせ道徳観や精神性の説明を加え動作の理由などの内容が評価の高いものでした。文化を学ぶ、思想に触れたことへの喜びで満足しています。
これは新渡戸稲造が「武士道」を世界に紹介し、海外での評価を得ている事と一致するのではないかと分析しています。
武士道、武術、武道は国内外で知名度があります。忍者や忍術の名称は知名度がありますが、思想などはそれほど知られていないです。そこで普及している武士の思想、技術と比較できる形にすれば普及していくと考えました。よって武士道に対し忍士道。武士は主観で忍者は客観といった対比から、日本の特徴的な思想の和を忍びはどのように体現するのか。武士の戦闘技術である武術が武道に昇華したと同様に、騙しや盗みといった忍術が忍道として昇華する共通点があるのかなど整理していきました。よって全く新しいものを作り出したのではなく、忍びの思想や技術をわかりやすく整理したのが忍士道となります。

この忍士道の提唱で、忍びの文化が普及し、忍者界に活気が出る手助けになる事を望みます。

Article written by Suzak Shibata
Born in Yokohama, Japan as a daughter of Jin'ichi Tetsubunsai (the 18th generation head of the clan) and Kimi (Someya) Shibata. The 17th generation head, Sen'ichi Tatsunojoh, became Christian and ordered the clan to be closed for 50 years after his death. Tetsubunsai operated his workshop as a blacksmith and continued his shinobi samurai training. He stepped down from his post to be succeeded by Suzak in 2006. Suzak and Tetsubunsai appointed Kazuchika Yoneda to assist Suzak as Tohmoku of the clan. Besides being a representative of the clan, Suzak has managed Honjin Dojo Suzaku has been the head interpreter-trainer in the clan. Authored several books for those who study interpreting.
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